高校卒業後、正社員になってみたり、FXしてみたり、デザイナーに憧れ上京したりしましたが、それはみごとに挫折してしまい、(詳しくは下に書いてあります)
Uターンした田舎でインターネットを活用して起業し生活しています。
それでも現在は、1日3時間程度の作業で月50万ほどの収入を得られるようになりました。
時間に余裕もできたので、今では子育てにも毎日全力で取り組んでいます。
子どもたちと毎日接していてすごく考えさせられたことが、まさに「子どもは親の鏡」だということでした。
特にあまり好きではないような自分の口グセや行動を子どもがしているのを見ると「それ、よくないよ!」と言いながら「うわぁオレやん、見られてたー」と反省する毎日。
よりによってマネして欲しくないようなことほど忠実に再現してくる子どもたちから「これ、さっさと直せよ!」と説教されているように感じます。
こんな子どもたちの姿を見ていると、どんな教育のノウハウやしつけを教えていくよりも親自身が理想の大人、子どもたちにマネされても恥ずかしくない人間になることが一番だと思うようになりました。
そのためにもっとも貢献できることとして親自身が人生を心から楽しんでいる姿を見せていくつもりです。
子育てを通して、仕事や人間関係にも関係するような気づきや発見もあり、自分自身が「まだまだだな」と思わせてくれることもたくさんあります。
そんな親である「自分」もいっしょに育てていく上で必要な感情のコントロール法や家事の効率化、あとはお金や時間の作り方なども合わせて、「育児」は「育自」というコンセプトでこのブログを始めました。
このブログを通して、少しでもあなた自身やお子さんの人生がより楽しく明るいものになっていくと嬉しいです!
ざっくりとした経歴
- 北陸の田舎(周囲は田んぼや畑のみ)で生まれ育つ。
- 中学まではわりと優等生(なはず)
- 高校は県内トップクラスの進学校
- が高2の時点で大学進学をしない決意を固める
- 服飾系専門学校に進学、1年で中退
- ガソリンスタンドで3年間の社会人経験
- 再度、ファッションの世界を目指し上京。
- 服飾系の学校に通うも、就職先が見つからず
- 知り合いの紹介で、飲食店の立ち上げや立て直しに参画
- 未経験ながら集客担当として前年度3倍の売上に貢献、店長業務も経験。
- 色々あって退職、フリーター
- 結婚、出産を機にUターン
- ひそかに挑戦していたインターネットビジネスで起業
- 1日3時間程度の労働で年商6000万をひとりで達成
- 事業の仕組化や複数事業の展開などを経て今に至る
ひとりでわりと時間がある形で事業をしているので、子どもたちの保育園や学校への送り迎えをよくしています。
僕の住んでいる場所が田舎なので、あまりそんな人がいないようで、何をしているのか気になる方が多く、どんなことをしてきたのか聞かれることもあるのでまとめておくことにします。
変わり者ながら順調だった【~中学まで】
小さい頃、父があまり家にいない家庭でした。
家にいないというか、自分が起きる前に仕事に行き、寝た後に帰ってくるというなかなか長時間を働いていたので、今考えると尊敬しかありません。
休日もいつも働いていたようで、一緒にどこかへ行ったという思い出もあまりありません。
その代わり、なぜか父の友人がいろんな所へ連れていってくれていたようです。(僕自身はあまり覚えてないのですが、母の話や写真を見ると父ではない男性によく抱っこされていました)
小さいころのことを本当にほとんど覚えていないのですが、ハッキリ記憶に残っていることがあります。
おそらく小学校に入るか入らないかくらいの頃なんですが、母と車の中で「将来の夢」みたいな話をしたときのことです。
普通の男の子なら「仮面ライダー」とか「ウルトラマン」みたいなヒーローやはたらくくるまが好きだったので「消防士さん」や「警察官」など特定の職業を言いそうなものですよね。
が、ぼくは「ラクそうだから」という理由で「サラリーマンがいい」となんとも夢のかけらもないようなことを母に言いました。(今は、逆にサラリーマンってめちゃくちゃ大変だと思っています。僕には耐えられませんでした。)
母は泣いていました。
僕自身、親になって子どもからこう言われたら泣くと思います。なんか間違えたかな、つらい思いをさせたのかなと自分を情けなく感じるでしょうし、母には悪いことをしたなと思います。
あと覚えていることといえば、「漢字辞典にドハマりした」ことです。
小学校低学年に「漢字」にすごく興味を持ち、誕生日に買ってもらった漢字辞典を暇があればずっと見ていました。
学校から帰ってきたら、すぐに開いていたすら食い入るように見ていました。
おそらくそのおかげで、中学校までは勉強で苦労することなく、学年でトップクラス、定期テストはいつも9割程度の点数をとれていました。
漢字辞典というちょっと特殊ではありますが、幼少期に読書、本に没頭したことで、理解力や考える力が養われた事例になるんじゃないかと思っています。
だから、子どもたちには辞典や図鑑をできるだけ手の届くところに用意していますし、読み聞かせも毎日の習慣として定着させています。
学業の挫折と「お金」に振り回され始めた【高校時代】
高校は入学直後から、挫折しました。
中学までは成績がよかったので、地元でもトップの進学校へ入学できました。
当時は受験直後に「受かったわ」と自己採点もせずに自信満々でしたが、そこからは挫折の連続でした。
入学してすぐに授業についていけなくなったのです。
中学校という小さなコミュニティ内でトップをはっていても、高校からは各中学からそんなトップクラスが集まった集団になった結果、授業自体のスピードが上がり、ついていくことができなくなりました。
得意だと思っていた勉強が、周りのレベルが上がると落ちこぼれ扱いになり、だんだん苦痛に。その結果、椅子に座れば、即寝るというのび太君のような特殊能力を身につけてしまいました。
こうして、入学早々、学業に挫折しました。
「高校に行ったら遊びたい!」という思いもあったのも、ありました。
中学では、部活動が厳しくあまり遊んだ記憶がありません。
その反動から、高校では部活はせずに遊びまくろう!と考えていたんです。
当時はオシャレにも目覚め、当時の近い年代向けの男性ファッション誌を毎月3種類ほど買っては、気に入ったコーディネートをスクラップのように集めて、また食い入るように読みふけることが趣味でした。
田舎なので、雑誌に載っているような服を取り扱っているところもほとんどなく、また、お金もないので、似たようなコーディネートを古着で再現したり、色々と工夫して楽しんでいました。(当時は、東京の服屋で買ったものを高く転売するお店や人気のブランドの偽物をお客もわかって購入したりする人も多かった、懐かしい…)
好きなものには没頭するけど、そうでないものには一切時間も何も使いたくないという性格がここでも続いていますね。
当時の悩みは、欲しい服があったり、もっと遊んだりしたいけど「お金がない」ことでした。
校則ではアルバイトは禁止されていたので、バレないように家の近くのガソリンスタンドでアルバイトを始めました。
といっても当時の最低賃金で時給は650円です。
欲しい服が1万なら15時間の労働が必要で、ほかにもゲーム機やソフト、遊びに行ったりと考えていくと、もっともっとお金がいる、だから働かなきゃと自然に考えるようになりました。
そうなると、ほぼ毎日働くようになります。
こんな生活を続けていたので、常にテストは赤点、進級はギリギリでどうにか最終年次には進めましたが、大学受験どころか卒業も危うい状態。
大学受験については、周りが国公立や有名私立や医学部など偏差値の高い大学を目指す人が多かったので、高2の時点でありとあらゆる教師から「もうムリだ」と言われていました。
そう言われて奮起するようなこともなく、早々に大学進学は諦めていました。(大学受験をしなかったのは約200人中1人のレアな存在でした)
それでも、今は勉強というか「学ぶ」ということが楽しくてすごく好きです。
学生時代は、受け身で勉強をしていました。
周りがやるから、やった方がいいというからやっていました。
その先に目的も何もなかったので、途中であっさりドロップアウトしました。
しかし、自分で目的を持って何かを学ぶ、勉強することはとても楽しいものだったんです。
学び、実践することで世界が広がり、収入も増えるし、より学べるというのがゲームのレベルアップのようで、しかもステージも変わるから永久に遊び続けられることに気づいたからです。
だからこそ、子どもたちには早いうちから楽しく学べるようにと、いろんな人の話を聞いたり、本を読み漁ったりしながら、自分の子でもいろいろ試行錯誤して実践中です。
これができるのも、自分で起業して時間とお金を作れたからですね。
人生に向き合い始めた20歳前後
大学受験も早々に諦め、高校卒業後は、地元の専門学校へ進学しました。が、1年で中退。
中退後は高校からバイトをしていたガソリンスタンドへ正社員として就職しました。
当時は「ヒマ」が嫌いで、必ず予定を入れるか自宅に友人が常にいる生活で、「そのときは」いつも楽しかった記憶があります。
そんな毎日を過ごしていく上でさすがに「人生、このままでいいのか…?」と思うようになりました。
そのとき楽しいこと、やりたいことだけでは、ずっと同じような毎日。
職場の上司や周りの大人たちを見ていて、「これが自分の未来なのか」と思うと、何かやりきれない思いが出てくる。
とてもいい方ばかりで、人間関係には不満はありませんでしたが、どうも納得がいかないというか、このまま年齢を重ねていって想像できる未来に不満がありました。
そんな思いから、自分の人生について考えるようになりました。
そうしてまずはいろんな本を読んでみようと図書館へ通うようになります。
その中で、衝撃的な一冊と出会いました。
それが、かの有名な「金持ち父さん貧乏父さん」です。
FXで50万を溶かしたり、MLMや輸入ビジネスで挫折したり
「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで、今のままではいわゆる「ラットレース」で走り続ける人生と、そうでない人生があることを知ることができました。
それまでは、ビジネスオーナーや投資家という概念すら意識したことがなく、あっても自営業者や社長という立場を漠然と「スゴイなー」と完全に他人事でした。
その感覚が一気に自分事になったのをハッキリ覚えています。
そこから、ちょうど当時話題だったこともあり、FXに挑戦することにしました
本を買ったり、ネットで情報を探して、独学でやったのですが、よくあるパターンですが、最初はポーンと10万ほど利益が出たので、「これはイケる!」とのめり込むようになります。
が、独学で利益を出し続けられるようなわけはなく、気がつけばマイナス50万に。
資金が尽きたころに、友人からサプリ系のあるMLMビジネスを紹介してもらい、上の人の話を聞いたり、セミナーに参加したりして挑戦したのですが、当時は自分自身がサプリに全く興味がなかったこともあり、ひとつも売れず。
近しい人たちの多くがMLMにあまりいいイメージを持っていなかったこともあり、徐々にフェードアウトしていきました。
他にもイーベイで雑貨を仕入れてヤフオクで売ろう!と個人輸入もやったりしましたが、これも完全に独学だったので、ひとつも売れず。
何をやっても全く成果が出せないことが続き、その中で気づいたことが2つあります。
- 独学ではなく、成果を出している人に教えてもらうこと
- 自分が好きなこと、興味があること
この2点を意識して次の挑戦を考え、探しました。
そこで出した当時の回答は
一度はあきらめたファッション系をもう一度、次はもっと真剣に本気で、人生を変えるために日本の中心の東京の学校で挑戦しよう!
上京して学生に、が挫折。と学び
こうして零れ落ちるくらいのやる気をカバンに詰めて、東京での学生生活を始めました。
やる気に満ち溢れているので、前のめりに授業を受けて、課題をこなしていきます。
しかし、3年ほど熱意がファッションから遠ざかっていたので、周りと比べて能力が高いということはなく、ただ真面目なだけでしたが、FXや輸入で失敗した経験から、「お金を払い、実績を出している人や機関から教えてもらう」ことが大切だと信じて、続けていました。
そうやって2年間、真面目に授業や就職活動をしましたが、卒業までに就職先は決まりませんでした。
もともとは「独立」やブランドを持ちたいと上京してきたので、どうしても就職してやろうという思いは大きくなかったのかもしれません。
生活に関しては、アルバイトだけでもそれなりに余裕のある生活が送れることも、その時点でわかっていたこともあります。
そういった思いや状況で、業界を調べるにつれて、就職してから自分の望んでいた未来に繋がるイメージがわかなかったことが一番の原因でした。
真面目に授業を受けたり、言うことを聞いていれば自分のブランドや独立ができる、と思って挑戦しましたが、そんな甘い世界ではなく、自分でどれだけ考えて動くか、それでも実現できるとは限らないという現実を知ったのです。
学校の授業では、プロで現役のデザイナーやパタンナー、企画会社の社長などが講師に来ていましたが、そこで教えてくれたのは、「プロへのなり方」ではなく技術や仕事の「やり方」でした。
学校に長く勤めている教員だけでなく、プロや現役の講師ですら、自分たちと同じような状態へなるための再現性のある方法を知らなかった、もしくは言語化できなかった、それか(おそらくそんなことはないと思いますが)教えたくなかったんだと思います。
僕自身、精一杯やりきったのかと言われると、バイトをしたり、遊んだこともあったので、そうでないと思いますが、もっとも判断を誤ったのは、上京以前に「選択を間違っていた」ことです。
上京前に選択した基準である、
- 独学ではなく、成果を出している人に教えてもらうこと
- 自分が好きなこと、興味があること
のうち成果を出しているからといってその方法を再現性のある形で伝えられる、教えてくれるとは限らないということを知った2年間でした。
就職できずフリーター生活、と思ったら
アパレル業界への就職はできず、しばらくは飲食店のアルバイトとしてのフリーター生活が始まります。
フリーター生活が始まってすぐに、運よく知人の紹介で飲食店の出店をしようとしている方から人手が足りないから手伝えないか?と言われ、こんな経験はなかなかないと思い参加しました。
一つは既存のお店のリニューアル、もう一つは完全に新規での出店でした。
その出店に合わせて雑務と集客を担当することになります。
これまでのバイトとして飲食店で働いていましたが、そのときは単なるホールスタッフ。
雑務はともかく、集客もはじめてです。
当時の飲食店の集客はポータルサイトがメイン。
ポータルサイトの有料会員となって、自店のページを作り、アクセスを集めるためにオプションでお金をつっこみ、予約や問い合わせ、認知をとっていくのが主流でした。
2店とも趣味の延長みたいなお店だったので、誰にどう利用してもらうか、と担当者と何度も相談させてもらい、どうにかページを作っていきました。
結果、リニューアルした店舗は貸し切りや団体の予約が取れるようになり、リニューアル前と比べて3倍以上の売上を出すことができました。
新規出店の方は苦戦しました。お店の構造上、貸し切りは難しく、団体予約も取りにくく、かといって記念日やカップル向けにも使いづらかったため、予約自体がなかなか取れません。
ランチはお得感があったからか2回転はするくらい入りましたが、ディナーは0人という日も。
見よう見まねでビラを作り、通勤時間や夜に配りましたが、ランチは来てもディナーとしては集客できず、悔しかったです。
そんなこんなで1年半がたったころ、主要メンバーから退職の意向を聞くことになります。
そこからは集客どころか、店を回すために2店舗を行ったり来たりしながら、1店舗は店長として予約があればその準備や対応に追われるように。
そんな中で数人、飲食業界の経験者が入社することになり、それに合わせて退職を決めました。
- コンセプトってめっっっちゃ大事
- お店をやるなら家賃や固定費をできるだけ抑える必要がある
この2店舗とも家賃がめちゃくちゃ高かったのがうまくいかなかった根本原因だと思います。
家賃や固定費が多くかかるとその分、客単価を上げるか、客数を上げるかという負担が大きくなります。客数を増やすには当時は広告費をぶっこむか、単価を下げるか。
どっちにしろ薄利多売になりますし、キャパの限界もあります。
だから、戦略としては高単価路線が正解なのですが、そっちを攻めるには、ブランディングやマーケティングなどの知識や経験が足りませんでした。
特に最初はできるだけ固定費が少ないビジネスを選ぶことが失敗を避ける大きなポイントだと教えてもらった経験でした。
またフリーター。そして起業準備へ
飲食店の立ち上げから運営まで経験したことで学んだことは非常に多く、今までやったことないこと、出会ったことのないような人たちとの出会いなど、とても濃い2年間でした。
退職後は、自分でも何か始めたい、起業や独立ということをよりリアルに考えるようになり、ある程度自由に使える時間が欲しかったので、就職とではなく、再度フリーターという選択をしました。
以前アルバイトしていたお店の店長にいつでも戻ってきていい、と言っていただいていたので、すぐに甘えることにしました。
すると面白いもので、ちょうどそっちでも新しい店舗の立ち上げに参加することに。
このときの出店はその会社の中でも初めてやる業態で、仕組から作っていくという前職で経験したことと重なっていましたが、中身は全く違いました。
お店のコンセプトやターゲットが明確なので、そこに合わせて仕組みを作っていくという非常に論理的でスムーズで、全員が一方向に向いている感じを覚えています。
もちろん、何も問題なく進んだわけではありませんが、都度修正することで無事Openできたときの喜びは忘れられません。
むしろOpenしてからの方が、実際の人の動きや導線やら修正する点ばかりでしたが、その常にベターを目指していくのが楽しかったです。
お客さんの入りや売上はもともと注目度も高かったこともあり、以前の立ち上げから経験した店舗とは大きく異なりました。
やはり、その業界での経験や知見があり、実際に成果を出しているところは違うなと人知れずいろいろ分析していました。
めちゃくちゃ忙しい毎日でしたが、充実していました。
が、気がつけばその忙しさに流されて、自分の目的はおざなりになっていました。
それに気づいて、Openして半年ほどたったくらいから、少しずつシフトを減らし、色々挑戦を始めました。
amebloでのブログを始めたり、MLMの誘いがあってセミナーに行ったり、独立を考えている人向けのセミナーにも参加したり。
本を読んだり、ネットをあさったり、情報も常に集めていました。
上に書いたものは割と労力や時間、お金を使いましたが、これといった成果は出ませんでした。
それでも、ひとつすぐに成果が出たものがあります。
それが、「せどり・転売」でした。
ほんとに始めてすぐに行動がお金に変わったので、「これだ!」とのめり込んでいきます。
当時は古本せどりが主流で、本も好きだし、実際に成果を出している人のセミナーや教材の内容を実践すると成果が出るという再現性の高さと今までの経験からの全てを満たしていました。
地元へのUターンして本格的に起業とプライベートの大きな変化
1年ほど、アルバイトとせどりをメインに生活をしていました。
そんな中で現在の妻と籍を入れたり、妊娠がわかったりとプライベートとの面でも大きな変化があったんです。
今後のことも考えると、子育ては田舎でのびのびしたいという思いもあり、地元に帰ることにしました。
ファッションで一旗揚げることは出来ませんでしたが、自分で何かを始めるという点でせどりから始まったネット物販でやっていける確信もあり、帰ることを自分でも許せました。
マンガとかアニメなら、ここで明るい未来を連想させて、ハッピーエンドってパターンもありますが、現実はそんなこともなく、山あり谷あり。
ここで問題になったのは、子育てと家族との関係でした。
基本的に自宅で作業をしていたので、ほぼいつも家にいるという状況。
だから、ずっと妻や子どもといるので、すぐに作業が中断されたり、いつも一緒にいる分、もめること、感情的になることが増えました。
愛する家族とずっと一緒にいれるから、これ以上ないくらい幸せだろうとなんとなく考えていましたが、現実は全く反対のことばかり。
あと、時間が全て自分の自由に使える分、マンガを読みふけったり、つい遊びに行ったりと仕事に向き合えないような時間も増えました。
どれだけ自分が器の小さい人間だったのか。
自分を律する、コントロールがこれほどできないのか。
と愕然し、落ち込んだり、自己嫌悪に入る毎日が続きました…
自分がどれだけポンコツで行動できない人間なのかと向き合う上で、行動心理学や脳科学、哲学やスピリチュアル系などの本や情報をとるようになります。
いろんなジャンルに触れることで、気づいたのは、本質的にはどれも同じ内容を言っているのが非常に多かったこと。(内容は長くなるので、また改めて色々記事にしていきますね)
その本質的な学びと実践を繰り返していく上で、家族の関係も少しずつ改善され、仕事面でもきがつけば、長年も目標だった月100万の利益を達成したり、今では1日2時間程度で毎月50万円の利益を出し続けられるようになりました
仕事も子育ても自分次第
子育てがうまくいかないと悩んでいたときは、「どうやったら子どもが言うことを聞いてくれるのか」と考えていました。
あるとき、いつもの通り、全然片づけをしない子どもたちに
使ったら片付けてから、次のおもちゃで遊んでよ!
と叱っていたときに、ふと「自分はどうだろうか?」と考えました。
「うん、自分もやってるとは言えないな…」
いろいろ振り返ると、どうも子どもたちの行動や言動で不満を持つことってほとんど自分もやっている、言っていることだと気づいたんです。
これに気づいたときはめちゃくちゃ恥ずかしく、子どもたちに申し訳なく感じました。
それからは「まず自分だな」と片付けや整理整頓を意識するようになりました。
そうしていると、子どもたちも何も言わなくても片づけをしたり、ちょっとお願いしただけで、すぐ動いてくれるようになりました。
他にも同じように自分の行動を変えると、子どもたちの行動も変わっていく、ことを何度も体験しました。
このような経験を通して、本当に「子どもは親の鏡」という言葉を実感しました。
そして、子どもたちをよりよく育てたいのなら、親である自分自身を育てる必要があるんだと強く確信するようになったんです。
これがブログのコンセプトである
育児は育自
という言葉につながっています。
今では、子どもたちの行動に違和感を感じたことは、「自分に教えてくれてるんだな」と感謝して、一緒に成長している感覚があります。
これって僕にとっては、本当に楽しく幸せなことです。
このように子どもといっしょに成長していけるようにできるのは、子どもたちと向き合う時間が十分にあるから。
仕事に追われていたときは、そんな時間もあまり作れず、お金にも追われていたので、精神的にも余裕がなく、せっかく一緒にいる時間があっても向き合うことができていませんでした。
切り替えがうまい人なら、仕事と家庭でどちらもしっかりできるのかもしれませんが、僕にはできません。
だからこそ、家庭にも全力で向き合うには、十分な時間とお金が必要でした。
決してめちゃくちゃ贅沢をしているわけではありませんが、子どもたちや家族と向き合える時間とお金を、これまでの経験を経て手に入れることができました。
これって決して難しいことではなかったし、誰でもできることが沢山あります。
周りからは「毎月あと3万くらいほしい」とか「あと1,2万あると安心」と言われることが何度もあり、そこでいろいろ提案してみたときに「知らなかった」「やってなかった」と言われることも少なくありません。
この経験から、子育てで一緒に成長していくためにも「お金や時間の作り方」についても、このブログでは発信していこうと思います。
お役に立てる情報をお伝えしていきますので、ぜひよろしくお願いします(^^)
これまでの実績・経歴
- 7歳の長女がIQ120(家庭教育のみ)
- 長男が4歳から自分で勝手に字を書き始めた
- 次女が3歳ですでにうるさいくらい喋ってくる
- ダンスに興味を持った長男に元世界チャンピオンや日本トップクラスの講師から直接指導をしてもらった
ーーーーーーーーーーーーー---親バカはここまでーーーーーーーーーーーーーーーー
- 物販事業で月収100万円を達成
- たったひとり、1日3時間の労働で年商6000万円を達成
- 飲食店の集客担当として、前年度3倍以上の売上を達成
- Webマーケティング、HP制作など法人や個人事業主を支援
- etc
こんにちは、しんや(@Shinya_issho)です。